コメント 【泣】「明治14年 小学校唱歌 蛍の光」封印された3番4番の音源が発見される「その真心は隔て無く 一つに盡くせ國の為」「千島の奧も沖繩も 八洲の内の護りなり」

【どえらいもんを聞いた話】
— 三浦崇子 (@miura_takako) May 13, 2025
四国護国神社巡りの二日目、高知黒潮ホテルに泊まり、隣接している日帰り温泉に入浴できるとのことだったので閉館ギリギリにひとっ風呂浴びた。
風呂から出ると、館内には蛍の光が流れており、閉館の準備が進んでいたが、一節を聴いて耳を疑った。… pic.twitter.com/y2WJLDjs2F
三浦崇子@miura_takako
【どえらいもんを聞いた話】
四国護国神社巡りの二日目、高知黒潮ホテルに泊まり、隣接している日帰り温泉に入浴できるとのことだったので閉館ギリギリにひとっ風呂浴びた。風呂から出ると、館内には蛍の光が流れており、閉館の準備が進んでいたが、一節を聴いて耳を疑った。
なんと3番の歌詞が流れていたからだ。『ええーっ!』と思いながら聴き続けると、4番までしっかり流れてまた1番からループしていた。
『蛍の光』は明治14年に小学校唱歌として発表されたが、実は4番まで歌詞がある。3番と4番は日本の領土がどこからどこまでなのかを明確に示し、『国の為、皆で力を合わせて守りましょう』という歌詞だ。
しかし敗戦後に3番と4番は教科書から消され、現代日本人は存在すら知らない人が多い。(『われは海の子』も実は7番まであるが、今は3番までしか歌われない)
そんな背景があるので、3番4番を歌っている音源を聴くのは初めてだった。この音源はどこのものか知りたくて知りたくてウズウズしてしまい、意を決して店員さんに聞いてみた。
『あの、すみません、つかぬことを伺いますがこの蛍の光はCDですか?』
『えっ、有線だと思いますけど』
『えっ、有線でこれが流れてるんですか?』
『えっ?』
『少し勉強をしている者なのですが、3番4番の歌つきの音源はとても珍しいので、もしCDだったらジャケットを見せていただきたいと思ったのです』
『(困惑)多分有線だと思うんですが、私はよくわからないので、わかる者がもうすぐくるので少しお待ちください』
困惑する店員さん。すまん。
聞くと、この店員さんは12年ほどお勤めだが、来た時からこの音源は流していて、この温泉は20年ほど前からやっているとのこと。3番4番は意図的に消されたものなので、有線で流しているとは考えにくい。
しばらくすると別の店員さんがやってきて、
『ああ、これはCDですよ』と、CDを取り出して見せてくれた。生憎ジャケットは紛失してないそうだが、CDの表面を見ると23年前に発売された『式典・儀式の音楽』という実用シリーズでBGM用に作られたもののようだ。
『これは貴重ですよ!』
と興奮する私。店員さんは苦笑いだったが『また聴きに来て下さい』と優しく言ってくださった。
部屋に帰り、すぐさまCDを探してみたところ、コレかな?と思うものを中古で発見。とりあえずポチった。 今日それが届いたので早速開けてみるとビンゴ!
TSUTAYA八戸ノ里店のレンタル落ちでケースも割れていて、入荷して短期間でレンタル終了していた。まぁ、誰も借りなかったのは理解できる。ジャケットの冊子は曲の説明など一切なく、式典儀式の種類や作法、運営方法などの指南がつらつらと書かれていた。
しかし、これを作った人の意図がどんなものであったか想像するだけで胸熱。そして4番の歌い方で、単語の途中で伸ばす音をどこにするかを悩み、多分こっちだろうと決め打ちして歌っていた部分が正解だったこともまた嬉しい私であった。
いやぁ、どこで何に出会うか分からんもんだね。
これが人生よな。
蛍の光の歌詞、解説、歌唱ビデオはツリーに貼っておきます。

#唱歌一発撮りシリーズ
— 三浦崇子 (@miura_takako) March 29, 2024
『蛍の光』作詞/稲垣千穎(ちかい)
歌唱・書 三浦崇子
前回の『あふげば尊し』に続き、ご卒業おめでとうキャンペーン第二弾です。
一、
蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつゝ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
二、
止まるも行くも 限りとて… pic.twitter.com/X0TSc2x6Sz
三浦崇子@miura_takako
#唱歌一発撮りシリーズ
『蛍の光』作詞/稲垣千穎(ちかい)
歌唱・書 三浦崇子
前回の『あふげば尊し』に続き、ご卒業おめでとうキャンペーン第二弾です。
一、
蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつゝ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
二、
止まるも行くも 限りとて
互(かたみ)に思ふ 千万(ちよろず)の
心の端を 一言に
幸(さき)くとばかり 歌うなり
三、
筑紫(つくし)の極み 陸(みち)の奥
海山遠く 隔つとも
その真心は 隔てなく
一つに尽くせ 国の為
四、
千島(ちしま)の奥も 沖繩も
八洲(やしま)の内の 護りなり
至らん国に 勲しく
努めよ 我が兄(せ) 恙(つつが)なく
【現代語訳】
一、
蛍の光や窓から差し込む雪あかりで
勉強をする日を重ねていったら
いつの間にか年月が過ぎ、杉の戸をあけて今朝、皆との別れに行くのだ
二、
故郷に残るにしても、去るにしても今日を限りにお別れだ
互いの胸に去来する幾千万の想いをただ一言『幸あれ』と歌うのだ
三、
九州の果てから東北の奥まで
海や山で遠く隔てられていても
我らの真心に隔たりはない
ひたすらに尽くそう国の為に
四、
千島列島の奥も沖縄も
日本国の護りの要である
外国には勇ましく立ち向かい
務めを果たそう、兄弟よ、ご無事で!
【解説】
明治十四年、日本初の音楽教科書『小学唱歌集』に登場した頃からずっと歌い継がれてきたほとんど唯一の曲。 元々はスコットランド民謡の”Auld Lang Syne”という友との再会を祝う歌で讃美歌でもあった。曲が日本に渡り、幕末の国学者、稲垣千穎によって詩がつけられた。
三番と四番は戦後になってから『軍国主義』『国の為に尽くすのは良くない』という動きの中で歌われなくなってしまった。音楽の教科書もGHQの指示で墨塗りが行われたのだ。
今では三番と四番の存在すら知らず、蛍の光自体もスーパーの閉店の合図としか認識していない日本人の方が多い。
四番は日本の領土の範囲を示す歌詞になっているが、明治以降日本の領土が変わるに従って歌詞も改訂されていった。
オリジナルの『千島の奥も沖縄も』は明治八年『樺太千島条約』が結ばれ日本の最北端が占守島になり、明治十二年、琉球王国が統合された事からこの歌詞がつけられたがその後、日清戦争後には『千島の奥も台湾も』に変更され、日露戦争後は『台湾の果ても樺太も』と変化していった。
もう少し詳しい解説はツリーに貼っておきます。昨年、靖國神社崇敬奉賛会青年部あさなぎの勉強会で、私が解説した時の音声です。
日本人が忘れているもの。
— なおっち (@nao1107) May 14, 2025
君が代もそう!意味を知り、最後の歌詞までしっかり聞けば日本が理解できると思います。理屈じゃない!
素敵なホテルですね!泊まるならここ♪ https://t.co/pAWdHMXeHK
知らないのも無理はない
— まちあき (@q9JmSUsOuF92983) May 14, 2025
先祖からの文化を否定され破壊された敗戦国で育った。
教えて頂きありがとうございます。 https://t.co/cairIyjkM9
すごい行動力ですね👏— まだお (@madaotoiimasu) May 13, 2025
三浦さんのおっしゃった我は海の子の7番と合わせて、日本人の心に刻みたいです。
われは海の子7番
7.いで大船(おおぶね)を 乗り出して
我は拾わん 海の富(とみ)
いで軍艦(ぐんかん)に 乗組みて
我は護(まも)らん 海の国— ヒーロー1955 (@MXtkfy) May 14, 2025
知識・教養ってのはこう言うのだな😆— g (@HymnG13) May 13, 2025