コメント 「ダライ・ラマは小児性愛者」← 中国が流したデマだった。性的要素はないチベットの習慣と、キリスト教聖職者の小児性愛イメージを利用

2023/04/11
「無邪気な遊び心で後悔」ダライ・ラマ14世が謝罪 口づけ&舌出し動画拡散で
おでこをつきあわせるダライ・ラマ14世と少年。亡命先のインドで2月に開かれたとされる集会で、ダライ・ラマが抱擁を求めた少年に対して口づけをし、自らの舌を出して吸うように促す動画がインターネット上で拡散しました。
これを受け、ダライ・ラマの事務所は10日、少年と家族、世界中の人々を傷つけたとして「謝りたい」とする声明を発表。「公の場でカメラがあっても無邪気な遊び心でからかうことがよくあり、後悔している」と釈明しています。
「ダライ・ラマは小児性愛者」 中国が流した「偽情報」に簡単に騙された欧米…自分こそ正義と信じる人の残念さ
<チベット弾圧から世界の目をそらすため、欧米の無知と偏見に付け込んでダライ・ラマを炎上の的にさせた中国と、見事に引っかかった世界>
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に対して4月8日、世界の主要なSNSで新たな中傷キャンペーンが開始された。(略
実際には何が起きていたのか。実を言うとチベットには昔から、自分の子に口移しで食べ物を与える習慣がある。ダライ・ラマの故郷のアムド地方(現青海省)はもちろんのこと、今でも各地にその習慣は残っている。故にチベットのお年寄りは、孫に与える食べ物や菓子がなくなると舌を出して見せ、「私の舌を食べたらどうだい、もう何も残っていないのでね」と冗談を飛ばす。
ダライ・ラマが「舌を吸え(なめろ)」と言ったのは、あめ玉を想像したせいかもしれない。元のチベット語では、直訳すると、食べ物の代わりに「私の舌を食べろ」だ。
この動画を通しで見れば分かる。そこに性的な要素はない。ダライ・ラマは自分の頭を少年の肩に押し付け、昔はこんなふうにして、兄とよくけんかしたものだと話している。それから少年と額を合わせている。これは欧米の握手と同様、相手に敬意を表する伝統的なしぐさだ。
単純に喜ばしい場面だった。少年も母親もその後、喜々としてインタビューに応えている。母親は数メートル離れた場所で面会を見守っていた。不適切なことなど何も起きていなかったのだ。ダライ・ラマが舌を出す前に、少年は頰と口の両方にキスを受けた。これもチベットでは伝統的な儀礼だ。そして舌を出し、「もう何もない」と示した。それは面会終了の合図でもあった。
少年は初め、ダライ・ラマに「ハグ」していいかと尋ねている。だがダライ・ラマは、その英語の意味を理解できなかったらしい。通常、チベットの人々はハグをしない。握手もしない。それでもダライ・ラマは(チベット伝統の)額合わせとキス、「舌を食べろ」のジョークに加えて、最後はハグと握手にも応じている。動画全体を見れば分かることだ。
そこに「小児性愛」を見るのは西洋人の「心が汚れて」いるからだと、インドの識者は言う。西洋人の人類学者である私は、そこに異なる文化やジェスチャーを理解することの困難さを見る。
その困難さを、中国の宣伝工作部隊は巧みに利用した。SNSのユーザーが、こういう動画にどう反応するかも知っていた。たいていの人はチベットの文化も慣習も知らない。ましてや「舌を吸う」に性的な意味がないとは思わない。一方で、キリスト教の聖職者に小児性愛者がいることは知っている。この無知と偏見に、中国側は付け込んだ。そして聖職者であるダライ・ラマを小児性愛者に仕立てた。(以下略
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[newsweek 2023.6.1]
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/06/post-101784_1.php



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